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耐震構造の問題点 『熊本地震を見て』 その④

ボランティアの集合時間は九時三十分で、県庁近くの仮事務所に集合しました。

仮事務所は手狭で書類の山となっているため、駐車場にテントを張った場所で指導要領についての説明を受け、電車で須磨区まで行きました。途中、電車の中から、右も左も焼け野原や瓦礫の山になった光景を見てあらためて被害の大きさに驚きました。

さて、建築士指導の方は私と息子と、西宮で設計事務所を経営しているという人と三人で回りました。彼はマンションが使用不能になったために事務所に寝泊まりして、あとの家族は奥さんの実家に帰っているとの事でした。自分自身が被災してボランティアどころではないように思いましたが、頭の下がる思いがしました。

三人で十五か所ほど指導しましたが、最後に行ったところは七十五歳くらいの女性が一人暮らしをしている家でした。高台にある平屋で築後五十年~六十年くらいの古い建物で、老朽化が進んでいたところに地震によってさらに傷みがひどくなり、修復不可能の状態でした。

私は解体して新築をするか娘さんの所へ行くことを進めました。しかし彼女はこの土地で暮らしたい、残りの人生が少ないのに、新築でお金を使うのはもったいないとも言いました。私は残された時間が短ければ短いほど、残りの人生を豊かに暮らすべきだし、「この高台はお金を出しても買えないくらい素晴らしいところです。浴室や食堂の窓を大きくして全面ガラスにすれば、瀬戸内海や淡路島が一望でき、最高の景色を部屋に取り込むことができます。そんな母親の豊かな生活を淡路島の娘さんは喜んでくれますよ。娘に残すものはお金ではなく、この土地と建物と思い出だけでよいのではないのですか」とも話しました。

夕方暗くなってボランティア活動を終え、息子と神戸を発ちました。帰る車内でいろんなことを話しました。息子から、老女に対してひどいことを言っていたと言われましたが、「あの家は直らないという事実と、その人の豊かな人生とは何なのかを話してあげること、つまり、人生設計の一助として住宅があるわけだから、今の彼女にとってなによりも大切なのは、人生設計をアドバイスしてあげることだ」と話してやりました。

その⑤に続く

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