季美の住まい株式会社

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出張

2016年 06月 11日 (土)

1989年40歳の年、岩国青年会議所の理事長を一年間させて頂いた折、「かつて岩国空港は国際空港だった」をテーマに大々的なフォーラムを開催しました。

それから27年、岩国空港を飛び立った飛行機から、白い帽子をかぶった富士山の頂を空から眺めています。

89’年当時、現実味のない夢の夢の夢、岩国基地沖合移設運動真っただ中、騒音やその他、迷惑施設である米軍基地の沖合移設問題と、民間空港として有効活用することは裏腹な関係にあたるため、当時は岩国市、商工会議所、基地沖合期成同盟会など沖合移設が最優先課題で、民間空港論はタブーな時代でした。

事実市長には、「二階の屋根に上ってほうきで星を落とすようなことは考えるな」と、面白いことを言われたなと、当時を思い出します。

そんな中40歳までの青年が周りを気にせずフォーラムを開催することで、タブーとされていた一角に針の穴を開けることが出来ました。

以来多くの方の努力によって岩国空港は開港となりました。

以前は、広島空港まで高速道路を一時間も飛ばしていましたが、4年前、地元のそれも近所から初めて飛び立った時の生まれ育った町を空から眺めた思いは、感慨ひとしおでした。

安定した気象条件では世界有数の空港でもあり、かつての日本の国際空港は羽田と岩国の2空港であるなど、自慢の出来る空港が岩国錦帯橋空港です。

重村 正明

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